RE: 主体的に動く アカウンタビリティ・マネジメント

この本を読み進めていく中で、今の私に深く刺さった言葉がある。
それは、いくら主体的に考え、動いたとしても、自分の力ではどうにもできないことがあって、
それに、いつまでも向き合う必要はない、ということだった。
これは、未来の方を見ろ、ということだ。
政治や経済の変動まで、自分にはどうすることもできない。
しかし、「他に自分にできること」や「今、自分ができること」はきっとある。
私には明日からできることが沢山ある。こう考えることが、諦めないということだ、と思う。

主体的に動く アカウンタビリティ・マネジメント

これを読んでサンク・コストを連想した。前のプロジェクトでは中盤まではがんばっていたが、終盤はまったくがんばれなかった。理由は、個人的に問題意識と熱意を持って取り組んでいた分、いつまで経っても変わらないプロジェクトの状況に嫌気が差し、思い入れが反転してしまった。そう、どれだけがんばっても自分の力ではどうすることもできないことがある。その事実を見落としていた気がする。そのため、いつまで経っても今までに費やしたエネルギー、つまりサンク・コストにとらわれていて、プロジェクトを成功させるためにどうすればよいか考えて行動すると言う基本動作に移ることが出来なかった(さすがにC/O前の一週間ぐらいはプロ意識でがんばったけど)。

今は基本に立ち返って、プロジェクトを成功させるためにどうすればよいか考えて行動しようと思う。プロジェクトを抜けてからは、今後はどのように振舞えばよいのか悩み続けていた。一時は仕事として割り切り、思い入れを持たないことで反動が来ないようにしてはどうかと考えた。だが、それではつまらない。やるからには思い入れを持たなければ面白くない。ただし、自分が努力してもどうにもならないことはある。だから、自分が解決できる問題に注力すべきだと思う。結果としてプロジェクトが成功すればよいわけで、思い通りに行かない部分があることも受け入れよう。あと、サンク・コストにとらわれないように気をつけよう。辛くなった時は今までの成果に目を向けてやる気を取り戻せばいい。

でも、当時の自分を振り返って思うのは単に自分が子どもだっただけかも。仕方ないことを仕方ないことと受け入れられなかったのだから。そんなわがままさは常識を疑える自分の長所だとも思うが、あの時は短所でしかなかったな。嫁さんが2人目を妊娠してて精神的に余裕がなかったのもあるのだろうけど、余裕がなくとも自分を客観視できるように気をつけよう。きっとそういう意味でブログというか日記ってよいのかも。冷静なときの自分と向き合うことが出来る。