RE: 「知らない」平穏と「知る」悲しみのあいだ

昔から考えていたことであったため、非常に共感した。

でも、知らないことで「色んなことを気づけずに平穏の中で終わる」よりも、色んなことを知って刺激を得て「色々知っていくうちに、失うものは増えて道は荒れてきたけど、代わりのない何かをいっぱい経験してそれを追い求めていく」人生のほうが、僕は好きです。
「知らない」平穏と「知る」悲しみのあいだ

昔から悲観的というか危機感の強いところがあって、それは色々なこと知りたがる自分の性質に由来する部分があった気がする。その結果、周囲の考え方が甘いように見え、そのギャップに悩んだ時期もあった。ただ、自分自身としては知らないで生きることは流されて生きることと同じ気がするので、たとえ知らなければよかったと後悔する事があっても、知るという行為を続けていこうと思っている。

このテーマについて考えるときに同時に思うのが、「普通に生きるには普通ではだめ」という考え方である。自分のイメージとしてある普通の人生って、大学を出て社会人になり、結婚して子どもを作り、自分の家を購入する。そして、子ども達が成長し孫が産まれ、老後をゆっくりと過ごす。みたいなものである(後半はその世代ではないのでイメージできないけど)。でも、そもそも小学校からの友人が全員が大学を卒業しているわけでもなく、結婚も運と努力が必要だと思う。そして子どもや家はある程度以上の収入がないと成り立たない。

なので、自分にとって普通に生きるには普通以上になる必要があるとの結論に至った。ただ普通に仕事をしているだけでは自分の市場価値がなくなり、普通に生活できなく気がするので。結果的に普通以上の努力を普段から続けることになった気がするが。これも一種の「知る」悲しみだと思う。。